yuitohi

公開交換日記 ユイ⇄ヒ

in love with life

書くことが沢山あって追いついていない。今回はとても長くなってしまいます。

 

この週末は2泊でロンドンへ。家族に所縁があるので、なんだかんだ数年に一度は訪れている。自分は住んだことがないので、決してわたしの街にはならない。それでも懐かしい、不思議な街。

横断歩道の表示やミュージカルの広告、さらさらとした雨、すこし階段を上がるとある食品コーナー、ここに入ると駐車場だったな、この横断歩道には真ん中に小島があってジャンプして渡った、確かこのスーパーに牛乳を買いに来た、記憶通りここに本屋がある、とか小さなことが、ロンドンにいる!と感じさせて、上機嫌で歩いて行った。頭よりも身体がよく覚えているのだった。

数年経つたびに、街に求めるものも変わっている。子どもの頃は部屋で遊びたくて怒られて、中高生になるとTOPSHOPで服を見るのがたのしくて、大学生になると美術館に行き始め、今回は建築を見て回った。

 

サーペンタインギャラリー(今年のパビリオンは石上純也さん、もっと色々やりたかったのではないかしら、と感じるエッセンスの足りなさ、一方ギャラリーのフェイス・ギングゴールド展がとても良かった)

ジョン・ソーン美術館(建築を見ることができないほど展示品が多くて惑わされるけれど天窓のドラマ)

サマセット・ハウス(新古典主義!マンゴーソルベを食べて休憩)

テート・モダン(みんな座ってダラダラしている広いホールがとても好きだ。展示室はホワイトキューブ。くたくたでぼんやり見て回るが最後にエリオ・オイチシカ「トロピカリア」のオリジナルに遭遇して感動する。なお数日前に転落事件があったらしいがその気配はもうなかった)

 

そう、上機嫌だったのに、サマセット・ハウスで急に落ち込んでしまった。

店員さんを呼び止めて、うまくオーダーすらできない。トイレの前にこわいおじさんがいて入れない。朝からトラブルがあって親に連絡して解決してもらってしまった。ひとりではなにもできない。

歩き回ってくたくたになり、一体なにをしているんだろう、と思う。素晴らしいものを見るほど、ものを見る目が足りていないと痛感する。「見た」「眺めた」というだけで終わってしまう。実際、わたしはこれを見ていて楽しいんだろうか。スプーンを咥えたままで考える。マンゴーソルベが口の中でじわっと溶けていく。

多分わたしは放っておいたら家に閉じこもっていつまでもダラダラ、くだらない記事や本を読んでいる。それでもどうにか外の世界に興味を持つ人になりたくて、たまたま見つけたのが美術や建築で、それらが自分を家の外に出してくれるから、だから「好き」なだけ、熱量があるわけではない、好きということに、しているだけだ。わたしには何にもない。何かを蓄積するための努力も本当はしていない。

 

地下鉄に揺られてふらふらと戻る。今回は、母の知り合いのところに泊めてもらったのだった。

母以上に元気な彼女。very Englishよ、と言って、ズッキーニと柑橘とミントをグラスに入れ、ピムズとソーダを注いでくれる。夏が過ぎて飲むのは野暮なのよ、ちょうど今。一口飲む。いろんな香りがして、美味しい。

パワフルな彼女とうまく話せるのか実はビビっていたのだが、彼女はすごく優しくて、作ってくれた夕飯とワインと共に色々な話をした。アール・デコバウハウス、アーツ&クラフツ。1920年代という世界中が危機の時代に、どうしてあんな芸術が生まれたのか。

とてもとてもたのしくて、勉強してきて良かった、と思った。

そう、わたしは自分が思っているよりも、人と話すのが好きなのだ。好きだから、うまく繋がれないことに深い怖れとストレスを感じる。

特別な才能も人間的魅力も人の気持ちを読む能力もないわたしがどうやって人と繋がれるか、と言えば、短い人生で得た答えは知識なのだった。もちろん知識だけでは味がしなくて、好きだから豊穣になる。好きじゃないわけじゃない、きっと。

本当はもっと色々なことが知りたいけれど、狭い専門分野もやらなければいけないのが嫌、とこぼすと、そうね、でも専門がないとね、バランスよ、と言う。

旅は大事よ、と言ってくれる。ぐっすりと眠った。

 

 

二日目に見たもの。

大英博物館(こんなところまで来て何故、と思うが日本のマンガ展を見て大興奮した。こうの史代さんがかなりフィーチャーされているのが嬉しかった。彼女の絵を見るだけで目が潤む。迷って入ったアジア・オセアニア・南米の考古品部屋が素晴らしく、もっと知りたいと思った、ソロモン諸島とか)

ナショナル・ギャラリー(昔よりもセザンヌが好きになっている。)

バービカン・センター(壁の素材や天井とエレベーターの形に日本のポストモダンはブルータリズムなのだな、と思った、でもこの動感はOMAらにつながっていたりするのかしら)

30セント・メリー・アクス(外観だけ、これはこれで時代と思うと面白い、こういうのの見方を知りたい、足元の間が良い)

ロイズ・オブ・ロンドン(外観だけ、ゴリゴリにハイテック、好みではないがかっこよかったし見られてよかった)

ウォーレス・コレクション(展示のサイズ感も建物も素晴らしいけれど、カフェのクリーム・ティー、スコーンがふわふわで最高)

 

この日も歩き回っては内省的になったけれど、「悲しみ=空腹、よって疲れたらすぐに食べる、出来るだけ美味しいものを」というルールを制定し、心を折らずに過ごせた。

夜はお友達とそのお母さんに会った。母どうしが友達で、去年娘の方が日本に旅行に来て家に泊まって、一緒に歌舞伎を見に行ったりして仲良くなったのだった。

わたしのダメダメ英語(頑張って聞き取ってくれていたんだろうけど)でもなんとか会話になって、笑いあって、嬉しかった。ダメでもいいや、と思えるようになっている。今日回ったところについて話し、何か買ったの、と聞かれ、本屋さんで買った本を見せる。”At the Pond”という、ロンドンのハムステッド・ヒースという森の中にある女性だけが入れる池について、数人の著者がエッセイを寄せた本。あの本屋さんでオススメされていたから買ったの、と言うと、あの本屋に行ったの?素晴らしい。これはすごくいい本よ、記事を読んだ。本当にある場所なの?そうよ、たまに泳ぎに行くよ。

わたしは次の日本当に泳ぎに行った。こうやって繋がってゆくことが楽しい。

 

夕飯の後、彼女の犬もやってきて、三人と一匹で彼女が住んでいるエリアを散歩する。日が長いので、ようやく暮れなずんで来たところ。このあたりは建物の壁がカラフルなのが好きなの、と言う。長い髪とピアスが揺れて、空と建物と、綺麗な色。街は人をつくるのだな、と思う。

“She is in love with life.”

お母さんが言う。

”Yes, I’m love with life. And I love music…”と彼女が幸せそうに答える(彼女はミュージシャンなのだ)。

Lifeに恋をしている。人生、と訳すと重いけれど、日々、日常、生活、とも違う気がする。旅や非日常もひっくるめての、life。

あなたは?と聞かれて思わず、言葉に詰まる。ハグしてくれた。

In love with life. わたしもそう言えるようになろう。この夕暮れみたいな幸福感をまとっていたい。

 

くだらない記事を読む時間を減らして、本にはお金を使おう。部屋に本のための空きをつくろう。もっと勉強して、もっと怖がらずに人と会って話そう。話して、勉強意欲を高めて、また勉強する。英語ももっと出来るようになりたい。お世話されることを恥じすぎず、やさしい人たちにもっと感謝して。同時に性善説を信じすぎない賢さと冷静さと計画性を。

人が好き、と思えてよかった。いい旅だった。

 

ユイ