yuitohi

公開交換日記 ユイ⇄ヒ

星と屑

仕事終わり用を済ませたあと、外の気温がちょうど気持ち良くてもう少し外にいたいなと思いいつもの公園のベンチで煙草を吸っている。新宿方面の高いビルにはたくさんの赤い丸い光が点滅、そのせいかあちら側の雲は赤くて怪しい。どこかの街で1番高いビルが何年後かにできますというニュースを見た。高いものが好きな人間。高所恐怖症の人間、自分。それぞれ特徴がある、でも開発として壊されていく風景はなかなか切ないし明るすぎる夜、星は見えにくい。


_


数日前、1泊2日だけだが山に囲まれた山の中の村へ小さな旅に出ていた。雨上がりの森林の匂いと夏が終わる川の冷たさ、早朝の風の肌触りに心が沸き、呼吸の深さを普段以上に感じた体は煙草も酒もあまり必要としなく、宿の食事も相まって心身共に浄化されて帰ってきた感じがする。


空は高いのに近い、いつもより長く上を向きながら歩いていたと思う。自然の中うれしくて力が漲る反面、川を歩き滝に打たれたり山の中を歩いていると、純粋な気持ちよさと同じくらいの怖さも感じ、人間以外の圧倒的な力強さに、私たち勝手にここでこうしてごめんなさいみたいな気持ちから、人間って本当やだ、という謎の追い詰め方を自分にして、いっとき凄まじい感情の渦に絡まってしまった。

人ではないもの、自然と対話する、例えば石をも自分と同等なものとして扱う心を持て、みたいな文章を近頃読んでいたけれど、対等というか全然及びません...というかそう考えることはそもそも別々に考えてしまっているということじゃん...とぐるぐるな収集つく前の終わりない残念な考え...。をひたすら山を降る歩みの途中道考えていて、それを一緒に歩いていたまりもに伝えると、私はみんな仲間だと感じました!と即返事が返ってきて、その素直さと素朴さに、驚いた。驚きより尊敬か。私は私で得てしまった知識や考えることがあるけれど、なにもなしに今目の前のここを感じられることができたらな。だってここにいるし。そう。そうなれば。最後山を降りきるときにみた、穏やかに溢れ暮れてゆく陽には、私たちを見送ってくれている...!と素直に感じた心もあって。そんな素直な心をしっかり素直に受け止めていきたいのだけど。だけど。だけど...。雑念払拭、雑念払拭...。


食事についても、宿坊での環境と献立を体験して変えて行きたいと思い、帰ってきてからの数日意識してみている。普段はなんらかをしながら片手間の、空腹を満たすだけの一皿の丼を食べている...けれど、宿では沈黙の中、外と内の環境音と自分の咀嚼音に耳を傾けひたすら食事と向き合う。1時間以上かけて、たくさんの小鉢に並べられた少量の山菜や魚などを少しずつ食べていく行為。それぞれの感覚がちゃんと分かれていることに気づく。混ざりすぎていてわからなくなってしまっていることが大半なんじゃないだろうか。帰った自宅のそばでも鈴虫は騒がしくないているし、茹でた小松菜はしっかり味がするものだった。

 


気づくことは多いけれどその実践を長く続けていくことが私は苦手なんだとわかってるから、気づいたことに気づき続けてその果ての日常に納得していけたら。変わっていく未来や在り方がきっとあるのかもしれない。小さい中で小さく悲しんで小さく落ち込んで小さく元気を出して小さく進んで行く毎日、小さな自分。それを悲観的に捉えることがとても傲慢で、当たり前にこの世界に小さな自分を存在させていくことが、とても愛おしいことなんじゃないか。

 

いろいろ感じすぎて抜粋してもよくわからない文章になってしまった...けどそんなことを未だぐるぐる考え続けている夜で。

名残惜しい良き旅であったことは確かだ!たのしかった!!!と一言で言える清さが欲しい。とか、また、言う...。

払拭よ。

 

_

 

 

 

ごたごた頭の中、まとまりな記。移り変わる街や季節、人と人。

一つの願いは、それぞれの中で、ひとつ輝いて見える星がありますように。

秋の始まりに。