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公開交換日記 ユイ⇄ヒ

前向きにいこ

ポルトガルリスボンに行ってきた!!街が素晴らしくて、とーーーっても楽しかった。

街の幸福度が全体に高い。光が明るく、建物はカラフルで、いつもどこからか歌が聞こえ、みんなのんびりしている。歌には拍手で応える。

エアビーで取った宿のある通りがとてもローカルで、通り沿いに住む老若男女が通りに出てきていつも喋っていた。子どもは駆け回ってカフェのお兄さんと戯れ、おばさんたちはなんやかや話しており、たまにお腹の大きなおじさんと喧嘩をしていた。

一緒に行った友人の上司(ポルトガル人)がくれたリストに従ってご飯を食べたりしたのだけど、大変に素晴らしいチョイスだった。初日はファド・ハウス(ポルトガル民謡の歌を聴きながらご飯を食べるレストラン)に行った。ポルトガルギター(12弦ある)に合わせて入れかわり立ちかわりいろんな人が歌を歌う。そのシンガーは普通のおじちゃんやおばちゃんで、ふらっと外からやってきて、自分の出番が終わるとふらっと帰っていく。地元の普通の人のようだ。心配になるくらい細いおじいちゃんが、歌い始めると太くて渋い声で、観客を大いに盛り上げる。

ずっと行ってみたかったふかーい井戸のある庭園に行ったり、海辺でのんびりアイスやエッグタルトを食べたりした。リスボンに留学していた子が滞在中すごく楽しそうだったのがよく理解できた。

 

 

とてもたのしく過ごしていると同時に、自分の馬鹿さに辟易としている。

自己抑制しすぎて何もできないかと思えば、解いた途端に怪我はするし、人を傷つけるような言葉を吐くし、馬鹿ばっかりしてしまう。許してくれるということは甘やかされているということで、つまり甘えているのだ。限度というものがあるだろう。抑制しそうなときには緩めて、外れそうなとき(お酒を飲んでいるときなど)はむしろ気を引き締めたほうがいい。

人の気持ちを読もうとしても無理だから、読めないものと諦めて、じゃあ何ができるかを考えたほうがいい、と言われた言葉が頭の中をぐるぐる回っている。じゃあ私に何ができるのだろうか。何ができるか、って、いつも人の顔色を見ながら考えていたことに気づく。元気がなさそうだから無理に何も考えていないように笑ってみたり、許可を伺いながら何かをしたり。シンプルにできることはお茶を淹れることくらいだろうか。もうすこし何かないのだろうか。

人の顔色を伺いながら行動することと、人のために何かをすることは別物だ。

自分の欲求だけに従うことと、自分の欲求を認めることもまた別だ。

これまでの自分がバラバラと崩壊してゆく音が聞こえる。まったく新しく建て直すための図面が必要。ひとつひとつ知識と材料を集めなおさないといけない。泣いても何も進まない。

 

 

戻って今朝は、部屋に掃除が入るのでとりあえず外に出て、近くのカフェで朝ごはんを食べながらこれを書いている。ゴーダチーズとレタスと蜂蜜のサンドイッチを食べた。おいしい。観光客も多いようで、落ち着く。

旅行中、北ではチーズと蜂蜜と紅茶で自分を叩き起こし、南では果物で体調を整える。のんびり旅行なので忘れていたが、自分のルールを守るのも大事だ。朝早く起きて外に出てコーヒーを飲むのも、自分が知っている自らの操縦法のひとつだ。

 

充電器は持ってきたのに変換器を忘れてしまって、もう電池切れ。馬鹿だなー。とりあえず出かけて、帰り道に買い物をして、ご飯を作ろう。野菜をたくさん食べよう。

混乱することも多いけれど、初めてのことをたくさん経験して、とてもたのしくて有意義な日々を過ごしている。そのために来たのだからさ、ね、どんと来いやという感じだ。

 

最後になってしまったけれど、ライブ、お疲れ様ーーーー!!!写真をたくさん見て、いとしい気持ち。はやく話が聞きたいな。

 

ユイ