yuitohi

公開交換日記 ユイ⇄ヒ

真夜中のサイレンと鼻歌

眼帯から眼鏡に昇進。相変わらず寝起きすっぴん同然の戦闘力10パーでやり過ごしてる。

6月最後の今日はさすがに梅雨らしく、湿気でべたつく肌に絡みつく髪が鬱陶しい。伸びた前髪で蚊に食われたおでこをガードして、隠された間抜けっ面。かわいいね。


前回の日記は酒を飲みながら、しかも飲みながらの後半地点で書いてしまってだんだんと脳みそが働かなくなっている様がよくわかる。鈍くなった思考となかなか意味の分かり得ない文字の羅列、大変顕著なロードってなんだよと読み返して頭を抱えることになった。ごめんなさい。すいません。

と、謝りながらも私が欠かさず続けていることといえば毎晩の飲酒ばかりで、てんこ盛りの灰皿と黄色い恐竜のフィギュアを横目に今夜も安い缶チューハイをこの野郎と思いながら飲んでいる。ほどほどに、と毎日思うのだけどほどほどが一番むずかしい。飲むか飲まないか飲まれるかの三択。だいたい結局飲まれて気絶のパターン。これが私の1日を終わらせるための手段。毎日ロンリー酩酊パーティーとでも言ってくれ。酩酊麻痺。lonely論理。どうにかしてくれ。私もドーナツが食べたいよ。

 

俯瞰で自分を眺めたときに、なにもかも絶望している風にも思えるが、掴めないとわかっている光や風に手を伸ばしてみるくらいの気力や意欲がまだわずかにある。わずかなのにデカイ。それが私をめんどくさくもする。そんなのが無ければこうはなってなかった。太陽の光の変化を見ることもせず、絶望も希望もなく、それこそ先日までの片目生活のように少しやだけどただ淡々とやり過ごすための日々を送っていたんだろうな。しかもそれを肯定するし、できるんだろう。そうしない私は、あっけらかんと、悶々と、自分のめんどくささを愛でている。

 

楽しい 意味 と検索してみると「満ち足りていて、愉快な気持ちである」と出た。満ち足りている?愉快な気持ち?じゃあ愉快の意味ってなんだっけ?検索「楽しく、気持ちのよいこと」ぐるぐる堂々巡り。わからなくなってくる。今までの私の楽しんでたつもりのやつは何だったんだ、えぇ、はぁ、うぅん、と、どんどん泥沼にはまってゆく、だめだ。意味なんて知らない方がいい。わからないままに楽しいって言う方がいい。それか新しい言語を作らないと。

言葉への信頼は厚いけど、すごく不安定だ。意味を持つ単語よりも、擬音語とかの方が感触がわかったりするし、発音の仕方、語尾が上がるか下がるかそのまま平坦なのか、気持ちはそこに出る、コントロールが効かない。やっぱり結局音はすごいんだな。一番直接的、もはや、あぁとかうぅとかぴょーんとかだけでいいのでは。変に確信めいたところに着陸してしまった。どうなんだ。あぁ。喋りたくない。感覚だけで生きていたい。ぽわぽわめらめら...

 

鼻歌から創造する音楽だったことを思い出し、パソコンを捨てギターを捨て、身軽にフフフーンと歌ってる。穏やかになってきた雨音と通行人のくしゃみ、たまにネコがミャーと鳴き、冷蔵庫は唸り換気扇が喚く。夜も深くなってきたのにサイレンの音が鳴るので心配になる。近所のだれかよ。私のお供はラジオがわりの環境音。そして今日は一番上に鼻歌が乗る。適当で気楽で大事なの。

こんな感じだったよね、私は私のために歌っていたんだったよな。思い出すというよりも戻ってきたというこの感覚は何度目だ。

おそらくまたすぐに忘れるんだろうな。そして少し経てばやっぱり思い出し、きっと度々戻ってくるんだろうけれど。その時の鼻歌を見つけ出し、どうか私、私のためにたまには歌ってよねと今は思う。断続的なお付き合い。

 

あ、7月。

夏が来るぜ。