再
ひとまず前に想像していたことは終わり、この後の想像を決めなくてはと思っているところ。想像が間に合わないのは時にとてもつらくなる。なるべく近く、遠く、想像をしていたい。それぞれなりの想像がいま、最重要であると思う。
今日は大雨で雷が落ちそれに滑ってコケるわたしであった。年中コケやすいが最近はこけすぎ。なんで?雨だから。気づかないうちに衰える足や腰と下っ腹と声とことば。久方ぶりに山椒魚を読み返し、頭に、お前は莫迦だ!というセリフが響く。音源には残らないクソって声と同じような呪いだ。
お母さんから、大丈夫と毎日3回唱えるんだよというメッセージが届く。ひたすら嫌いなネット上に情報をアップする。床で気絶する。ロマンチックな待ち合わせを考える。
それが毎日。
生きている今を直視することこそお伽話の中、のような日々に、手にするものと手にしないものと信じるものと信じないものと、濁ってるやつと濁ってないやつと、は確実に存在している、ということだけがたしかである。対局はときに同義でそこをどうすんの?って話になる。
少しずつ毎日、少しずつムカついている。滑稽新聞を再開したいがその首謀者はいない。
世界が変わるとか思わない。が、私たちは変われる、ということだと思う。
クソシステムクソ権力クソったれの金
生きるべきは今じゃなかったぜと独り言を呟くが、まあ今生きてるので、仕方ない
ヒ