yuitohi

公開交換日記 ユイ⇄ヒ

行き着くことができる方に

AM4:50空はもう薄明るく鳥がいつにも増して鳴いている。早朝のカラスは低空飛行、活発にゴミを荒らすからこわい。近頃うちの真下一階の庭に住み着き始めたお母さん猫と子猫たちは、身を寄せ合って眠ってる。みんな生きるためにしていること。

前に、お前の欲望に忠実なところが好きだ、と言われたことがある。そんな自分が自分もまた好きだった。けれど、その欲望を歪曲させ相手に押し付けてしまうとそれは暴力と同じことだ。いつも傷つけてしまう。眠る背中を後ろから抱きしめるとお互いの心臓が同じ位置、違う速さで鳴っているのがわかる。どうしてだろう、私は生きるためにこの人を大切にしたい。

そんなことを考えてもう一度眠った。

 


昨日は恋人の誕生日をやっと会ってお祝いできた祝福の日。梅雨感の全くない快晴。ランチクルージングというとてつもなく似合わないベタなことをプレゼントの1つとして贈ってみたんだけど、恥ずかしくてもやってみてよかった。お互いがはじめてのことを一緒にできることがいちばん嬉しい。彼のうれしい顔の理由はどんなだったんだろう。

東京湾の周りは工事中の高層ビルと工場が犇めいて、窓に覗くむらさき色のコンテナと船を見てキレイな色だねと話しながら目の前に出されたむらさき色の冷製スープを啜った。屋根のないところへ出て潮風に吹かれると、髪が少し伸びたこと、増えた白髪の数に気づく。2人の乱れた髪が青い空と海の間に揺れている。

私はいつも長くは続かなかった。けれど3回目がきた。少しずつ少しずつ、進むというより、重ねながら過ごしてこれた。「私はバカだからいつも間違ってしまう」と綴った三年前の私。未だに変わらずバカで間違いだらけだけど、そのひとつだけは絶対に間違ってなかった。大きな橋の下をくぐり抜けるときには思わずしてしまう願い事。でも願った瞬間にそんなことはいらなくなりどこへ届くことも求めなくなる。海の上を漂い続けていればいい。ここだけに、また重なりつつある今と変化が存在して、ただそれだけのことだ。

 


船を降りてからはいつもの二人で、暑さから逃げるように駅地下に潜り立ちで飲む。カウンター上の大皿に盛られたつまみの中から今日亦コロッケというものを選ぶ。ふたりとも亦の読み方がわからず、店のお母さんに聞いてみると「きょうまたコロッケって読むんだよ。昔電話もなかったころ、ラブレターの最後に〝亦、お逢いしましょう〟と書くのにこの字を使っていたの」とかわいい笑顔で教えてくれた。手段や文字は変わっても、愛を綴る気持ちや記憶は変わらないよね、とおもってうれしかった。


祝福はされる側よりもする側のためにあるんだね。もう自分の誕生日なんて何とも思わなくなってしまった。だけど大切な人が生まれた日のことを私だけは待ちに待って祝福し続けたい。重ねた層を保って崩れずにいつか繋がりひとつになったとき、それは永遠だってことなんじゃないか。おめでとう、全部ありがとう。亦、来年も、ともに過ごせたら。

 

今日は昨日のことを思い返していただけで、手は動かしながらも気持ちはぼーっとしていたから、仕事終わりゆいこに会えてうれしかった。自分の日々を知ってもらうと、相手の日々を知れると、直接話したいことも増えていく。聞いてくれてありがとう。

記録していくことは生き延びること。記録は思い出すために残していくだけのものではないんだね。生きるために、生き延びるために、みんなそれぞれやり方がある。私は私のやり方で、やっていきたい。なるべく間違えないように。

shingo2の抱擁って曲をエンドレスで流してる。