生活
22時まで仕事は長ーい。おつかれさま。
ブラジルの夕焼けを見に行く話、すごくすきだなと思った。例えば、同じ気持ちを得るならば、生まれた海の街を離れて東京にいる今の私たち、どこへ何を見に行ってどこへ戻ればいいんだろう。一人暮らしを始めてもうすぐ一年経つのだけれど、まだ家が完全に家じゃなく帰る場所はここだったっけ、と感じる時がある。ひとりの寂しさに未だあまり慣れてないというか。海のようにふらりいつでも行ける場所がないのは、東京の悲しいところ。神田川はすき。
私は昨日はおやすみで、うまいカレーを食べ、中野でかわいいカップのコーヒーを飲み、BIEN さんの展示を見に行った。
けっこうな土砂降りだったから行動することを半分躊躇していたけど、ぜんぶに行ってみてとてもよかった。雨に勝利。動くこと大事。
BIENさんの展示は、迷わない迷路のような作りの会場で、自分の歩いて行く様が彼の線をたどっていくようにも感じられ、作品を見ながら自分を俯瞰で見ている感覚にもなり、それがすごく心地よかった。
"描くこと、線を引くことは誰にでもできる。
誰が上手いとか、下手とかなくて、ただそれぞれの個性は出るかもしれない。そこから自分の道を探してみる。こんなによっぽど開かれていることが面白い。"
はじめに、というキャプチャーで記されていたこの文章を読んで、ありがとうという気持ちになった。
わたしは何かにずっとなりたがっているけれど、何にもなれていない事実にとてもコンプレックスがある。そしてそれは恐らく憧れや理想をそのままにして、爆発的な行動もせず妬んでばかりいたから。出来ないことをあたりまえのように考えていたから。そしてそれは生まれ持ったことや技術の話、もしくは根付いてしまった思想の話で。
坂口さんのcookでも感じたことだけれど、いきなり何者かに飛躍しなくても、奇跡のようなことが起きなくても、誰しもが持っている生活や態度、そこにある日常とあたりまえな行動は大事にすることができる。それは見方によればすてきな作品にもなり得る。そういう身近なことを最近のわたしは愛おしく思えている気がするし、気づき始めていると思う。
そしてそれは、ずっと前から言っていること、私は私をどうにかしてあげなくちゃいけない。最近になって、そこに通じる僅な信頼をかき集め、力を抜いてこのことを考えられている気がする。
きみはきみでたのしくて、私は私でうれしくて、揃えばハッピーだねって思えること。ただそれだけなんだよね。期待を押し付けない。期待が叶わないことは全然悲しいことじゃない。
今いられる場所で限りない工夫と空想をして、立派ではなくても自信を持って朝や昼や夜でも、いつでもいられたらとても、それは、幸福で、許されて、よかったね、って言えるんだよね。
110円の毒ストロングは一本でオーケー気味です。今日は雨が降らなかったから、
すくい取って、しあわせを。
ヒ