yuitohi

公開交換日記 ユイ⇄ヒ

許しは愛

轟音の中は次元が変わる。宇宙だと思う。速度や重力がなくなって、全部浮かんでいく。ここに立っているという事実が消え、どこにもいない。力を抜いて海に潜っている時となんだか似てる。


夏に演奏の機会があり、久しぶりに曲を作っている。私はギターを弾きながら歌い、バスドラを踏む。ともだちは素手でドラムを叩き、鍵盤を弾く。めちゃくちゃだ。だけどそれが、それで、今はいい感じ。ひとり部屋では完成できない曲、2人共が勝手にすると勝手に進める不思議。あと、単純にだれかと音を鳴らすことはたのしくて好きだなってことを思い出した。録音したものを聴くと、下手くそなんだけどなんか良くて気に入ってる。また音楽をしている自分がうれしい。


昨夜はいつぶりだろう、タイミングが合わず行けていなかったノーベンバーズのライブに行ってきた。最高にかっこよくて優勝。圧勝。ピース。彼らのライブを体験しているときはなぜだかいつも、顔のすぐ下の位置で手を祈るようにしてしまう。首のあたりのきゅぅとなるところを押さえながら。祈りのような音楽、おまじない、支え、希望。長年わたしにとってそんな存在であるのは確かだけれど、それと関係はあるのかな。救われている。

〝歌手であり、パパでもある〟と終演後の小林さんが呟いていた。(ライブ中にパパ〜と娘さんからの声援があった)個体としては1つの塊だけど、誰しもいくつかの面がある。何にでもなれるし、それをすべて自分だと言えるならそれはちゃんとすばらしくて、素敵なことだなと思う。祈りの絶叫も、子どもたちを寝かしつける子守唄も、同じ人が同じように発する音。あたりまえのことなのに、気をぬくと忘れてしまいそうになる。見えないところや知らない生活のことを。


ずっと考えてた、私にとって気持ちがいいってどんなふうなことなんだろう?それは、自分を許していて相手からも許されてる状態にあることかな、と書いていて思った。いくつかある面をそれぞれに理解せずとも受け入れてくれる。そして受け入れる。何にでもなれることを拒まないこと。まったく制限なんてないと思える関係性。許しは愛に近いものがある。

 

愛が気持ちいい。愛は気持ちいい。ということか。

 


昨夜は終演後遊んで、見事終電を逃し(すごく楽しかったから)、少し酔った脳みそで赤坂から徒歩で帰ろうとしようとしてた。帰れる自信も謎にみなぎってズシズシ歩いてた。長すぎるトンネルの光。反射する水たまり。雨のしみでズボンに模様ができた。ホンモノの水玉模様。新宿で雨が本降り力も尽きてタクシーに乗ったけど、いつか私、事故って死ぬ気がする。だけど夜歩くときれいなものが見れるから、気をつけて、歩くことはやめたくない。