yuitohi

公開交換日記 ユイ⇄ヒ

消えちゃわないで

左眼から涙が零れそうになって、隠すように車窓に目を向ける。風景から話題を探す。みて、あれ、へんな広告ー。ね。少し気持ちが落ち着いた、と思えばまた、ゆれる。考えを頭からかき消そうと、歌をうたう、けど私の好きな曲は嫌いだろうから、ほとんど口だけ動かして、うたう。また少し持ち直す。

 

そんなちまちました努力もみすみす崩れさる、あまりにも弱いから。視線を合わさない怒り。いちばん大事なことが口に出せなくて、自分がとてもとても小さいものに感じる。

 

昨日は東京を離れて肉体労働をした。ごうごう渦巻く火をずっとみていた。煙でホワイトアウトして、涙がぼろぼろ出て、体のなかがぜんぶ違うものになったようだった。山とか、火、木、連なり、大きいもの。自分の存在を忘れるくらい。よかった。

 

ユイ

ierak

遠くから聞こえる声は自分の声で、書いては消して書いては消して書いて書いて書いてすくっていく救っていく救われた気になって求めなくなる誰かをひとりをひとりきりの部屋に帰る帰らないどこかに置いてこれたかなそっとやさしく置いてこれたかな触れられる距離に置いてこれたかな間違えちゃったでも最後まで弾けたがんばれと鼓舞するように毎日呟いて私やっていかなくちゃ

 

 

 

ダンス

自分のまわりがどんどん動いていって、心をどうにか保とうとするひとつきだった、少しでも考えると泣いてしまうから、考えないようにして。落ち込んでも、ぐっと立ち直る術を体得しようと、立ち直れたらダースの箱を開けて、ご褒美だよーって、ひと粒食べてみたりしている。

 

隣の家の樹の葉がきれい。すっと塗った絵の具がきれい。残り物でつくったおかずが、ひいおばあちゃんのそれと無意識に似ていた。

そうやってかき集めるもの。

 

お花やさんに寄る。

 

ふつうに生きてたら、悲しくなっちゃうんだから、たのしいこととか、うれしいことに、無理矢理にでも、ばかみたいでもさ、注目していくしかないよ、

 

隣の人に口走って、はっと自分にも、声をかけた。

 

ツールとしての手を、無目的に動かせばダンスになる。でもツールのまま、踊ることもできるのじゃないか。喜びをみちびくように絵の具をひいて、体をうごかしてみる。なんにも考えてないみたいにはいられないけど、気持ちいい方へ、そしたら自然に笑ってられるよね、

 

ユイ

新しい年に

「危険な橋を渡るような心配なことがあり驚きと苦しみもありますが、あとはすべてなごやかに喜びがおとずれます」

 

たぶん10年以上ぶりに引いた大吉の助言を眺めながら、一昨日の夜。風呂で書いた決意めいた文章はすべて消した。だらだらと長く続く文、要は磨きながら、ここで、続けるだけ。海に空いた円柱の穴を見つけた時に降りて行ける梯子の準備は忘れずにしておく。きれいな場所を見つけられたら入り込む。夢。欲望。新しい年、がんばっていきたいです。我々。がんばっていこう。


書けなかった理由は、空っぽというか空白になっていた近頃の体内。どうにもできない、と思うと体が縮まりここにはいない私への切望から空白になっていく。寒さに痙攣する内臓でもあったほうがまだマシだろう。無限ループの思考の回転速度に目が回る。矢を放って選ばれればいいが、私の投げた矢は場外失格賞品タワシというところで、大きな問題に立ち向かうには微力すぎる。だけど怖すぎる。ありえてしまうことがありえない。

が、弱音や怯えを吐いていることの方が明らかに何のことにもならないな。折られる前の矢を、このひとつの身体を、無駄にしないように、負けてはいけない。空白の自分と醜い奴らに負けてはいけない。絶対に嫌だ。

そして世の中の混沌は私たちだけの物語には関与できないということも。数分間の歌や日々のわすれられていくはずの言葉を綴り続けていくことを守る。

それがいつかの未来ひとつに繋がって、力になると信じるしかない。なごやかな喜びに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は千葉市美術館に目の展覧会を見に行った。改装中の美術館で行われている展示。日常の延長線上でぬるりと、パラレルワールド的な別の日常に連れていかれるのが目の良さだなあと思った。何かがおかしい、とじわじわ気づく。背筋がぞわっとするような。

 

往復3時間の電車の中、心がぐぎぎと音を立てている。風船にぐーっと力を入れて曲げているような。柔らかいものなのに、押さえつけてるから固まって苦しい。でも抵抗してるということでもある。うまく進めなくてどうしたらいいのかわからない。わからないことが怖い。ずっとわからないから怖くて進めない。進んでいる人がまぶしい。

 

失敗するとすぐに落ち込むし恥ずかしくて悲しくなる。自分を高く置きすぎている。成功ばっかりしたいなんて傲慢だ。失敗してももともとと心から思うか、失敗がわからなくなるくらい動くか。仲間がほしい、ということも思う。並走者。それもひらけていないと無理だ。さらけ出す。

 

この前見た夢。架空の先輩らしき女性がいて、私はその人のことが大好きなんだけど、心無い言葉をかける人がいる。わたしは元気づけたくて、どこかの建物のロビーのような所で、「わたしは何々さんが好きです!!」と伝えながら気持ちが溢れて号泣していた。逆によしよし、ありがとう、と言われながら一緒に建物の外に出てゆく、という夢。パッションにみちて、ひらけていて、いい夢と思う。「考える」行為はわたしの中の多くを占めているけど、実はあんまり考えないほうがいいのかもね、とかねー。自分なんて、ただの管と。

 

ユイ

 

泡の生活

AもBもサビもない。ただ続いていく言葉だけがある。俺はやった、こうやってやった、それならお前は?どうやる。俺ならこうやる。こう言う。肉体の信じられなさ、触れられない愛情、肌。皮膚粘膜、心。暮らしと生活。違う。感化されても同じことなんてなにもない。この場所でこれからの場所で、どうする、どうやる。孤独とうまく遊ぶ術を。どうしていく。私はどこまでも子どもで幼稚であった。そしてそうあるべきだった。後悔や懸念はなく、ただ、今がある。すべての思い出はなんだったのだろう。

 

『まるで天国みたいだ』

冬の朝の陽を浴びても変わらない体。なにも思い通りにいかない。後から知らされる気持ちは納得のいくもので、いつも間違ってしまう、選択を、いくつかの選択を、いつも。

赤ピアノが宙に舞う様は、夢のような現実だ。あり得なかったことをしている、祈りは叶っている。私の頭などとうに越えて、どこか遠くへ行ってしまう。

これからのこと。なにが一番大切なのか。それは、ひとりで。ふたりで?みんなで。

言葉にならない、沸騰した液体のようにふつふつと湧く泡のような感情に、どう向き合えばいいか。わからないままずっと苦しく、呼吸をしようとあげた顔にまた湧く泡がかぶさっていく。

 

 

 

呼吸

金木犀が散り、寒さに震えて過ごしている。日々は飛んで行ってる。

大事なことはいつも思い出していたい、だから大事なことをまちがえない。

うれしいことを数えて、ガラスを透かして見るみどり色。